
誰も見たことがないホラー映画
『日本ホラー映画大賞』を受賞した作品を下津優太監督自身が長編化。総合プロデュースには清水崇が名を連ねている。「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」というテーマを軸にしたサイコロジカルホラー作品となっている。
予告
未視聴の方は視聴後の閲覧を推奨します。
あらすじ
祖父母の元にやってきた孫
看護学生の孫が田舎の祖父母を訪ねるところから物語は始まる。両親と弟と一緒に訪ねる予定だったが都合により孫一人だけ先に向かうこととなった。祖父母との再会は温かく家族水入らずの時間を過ごす。時間が経つに連れて、入ってはいけないとされている物置部屋から聞こえてくる謎の物音や祖父母の不可解な言動が孫に違和感をもたらした。
生贄と幸福の消失
ある日ついに入ってはいけないとされていた物置部屋への侵入に成功する。そこには目と口を縫われた男性が手足を縛られて監禁されていた。孫は幼なじみに協力を依頼し男を外に連れ出そうとするが結果的に祖父母に見つかってしまう。「自分が何をしているか分かっているのか」と孫の行動を否定する祖父母と「誰かの犠牲の上に幸せが成り立つなんておかしい」と賛同してくれる幼なじみ。どうやら幼なじみは生贄(家にいた男のこと)を持たないから幸せになれないらしい。外に連れ出すと自分で歩き出す男。突如村人の車に撥ねられてしまう。合流した両親と弟、村人は協力し河川敷に死んだ男を投げ飛ばす。起きていることが理解できず叫ぶ孫。「お前のせいでうちは大変だぞ」と父親から逆に責められる。
消失の対価
祖父母の家に戻り、皆で事態について話し合う。家族が突然笑い出した。笑い始め、血の涙が流れるようになると終わりが近いらしい。孫は家を飛び出し、森の中にいるという母親の姉を探す。姉もまた自殺を考えており、孫が丸太を割るため振り被った斧の下に頭を差し込む。血まみれになった孫は帰り道で、いじめから助けた子供に「僕、(生贄に)なってもいいよ」と言われ、近所の人から「うちはみんな年寄りだからやめてね」と言われる。今度は弟が血の涙を流し始める。本当に終わりが近いらしい。
理想と現実
「誰かの犠牲の上に成り立っている幸福」のシステムは昔からあったらしい。そして、それを知らないふりをしていたのは孫だけだ。それを不意に思い出す。幼なじみに再び会う孫。幼なじみは誰よりも孫の今後を憂いていた。自分の首を孫に絞めさせる。ついに決意する孫。家に生贄が戻ったことで一家に再び幸せが戻る。
数年後。婚約者と田舎に向かう孫。婚約者から「幸せじゃないの?」と聞かれ、孫は「幸せだよ」と笑顔で返す。しかし、それは誰かの犠牲の上に成り立っている。
考察
問われる倫理観と歪な社会的構造
「何も知らなかった」はずの無垢な孫は、過去の回想を経て自分が完全に無垢ではなかったことに気付く。そして、家族を救うため、なんとなく人を救いたかった看護学生の孫は「他者の不幸を受け入れる」。それは生き延びるための妥協だった。物語は究極の選択をした後、何も語られない。それが正解なのか不正解なのか。何も提示されず気持ちの悪いしこりを観客に残す。この強烈な鑑賞後の余韻こそ本作品の真骨頂である。もし、自分だったらどうしていたか。考えたくもない命題を突きつけられる。
下津優太監督の2026年公開予定の『NEW GROUP』もテーマ性の強い作品になりそうで今後も目が離せません…!
以上。
ブログランキング参加中!
1日1回ポチッと応援よろしくお願いします♪


















