真夜中に食べ物を与えて

映画のレビュー・考察・劇中の飲食物についてまとめていきます

MENU

『エイリアン・ロムルス』だけを観た人へ──この映画はシリーズのどこに繋がっているのか

『エイリアン・ロムルス』は、シリーズ作品をすべて履修していなくても成立する映画だ。 しかし同時に、この映画は「ロムルスだけを観た人」が、あとからシリーズ全体を振り返ったとき、印象が大きく変わるように作られている。

ここでは、あらすじではなく、 「この映画を単体で観た人が、世界の前後関係を知ることで、もう一段深く楽しめる視点」 に絞って整理していく。

 

 

エイリアンの進化

midnight-sweets.com

 

 

時系列

エイリアン』リプリーのラブシーンがあるところだった、“女優の意見”に耳を傾けた制作陣は偉い! | フロントロウ

まず押さえておきたいのは、『エイリアン・ロムルス』がシリーズのどこに位置する物語なのか、という点だ。

時系列上、この映画は 『エイリアン』(1979)と『エイリアン2』(1986)の間にあたる。

ノストロモ号事件でゼノモーフの存在は確認されたが、 人類側はまだそれを「完全な脅威」として共有できていない時代。 しかし企業だけは、その危険性を理解した上で回収と研究を諦めていない。

ロムルスは、そんな「最悪の予感だけが残っている空白の時代」を舞台にした物語だ。

 

エイリアン:ロムルスは、シリーズの原点回帰作品のように見えて、実は非常に冷酷な映画だ。

midnight-sweets.com

 

エイリアン (字幕版)

エイリアン (字幕版)

  • シガーニー・ウィーバー
Amazon
エイリアン2

エイリアン2

  • Sigourney Weaver
Amazon

 

1〜3視聴後に最高の補完が出来る小説(かなり面白かった)

 

企業の描かれ方

この映画にリプリーが登場しない理由は明確だ。 彼女は例外的な生存者であり、英雄だからである。

ロムルスの登場人物たちは、 ・ゼノモーフの正体を知らない ・対処法も知らない ・警告を残した人物の存在すら知らない

つまり彼らは、シリーズの中で何度も描かれてきた 「名前も記録も残らなかった犠牲者側」の人々だ。

リプリーが英雄になれたのは、 彼女より先に、こうした人々が全員死んだからでもある。

 

ロムルスを単体で観た人でも、企業の描かれ方に違和感を覚えたはずだ。

人命よりも回収が優先され、 クルーは使い捨てで、 判断の基準は常に「利益」と「データ」。

これはシリーズ全体を通して一貫している、ウェイランド・ユタニ社の思想そのものだ。 ロムルスでは社名が強調されなくても、この冷酷さだけは確実に継承されている。

 

アンドロイドの存在も同様だ。

ロムルスを初見で観た人でも、 「このキャラクター、完全には信用できない」 という感覚を持ったのではないだろうか。

エイリアンシリーズにおいて、アンドロイドは常に 人間の味方とは限らず、 倫理よりも命令を優先し、 結果的に人間を切り捨てる役割を担ってきた。

ロムルスは、その系譜を知っている人ほど、 早い段階で不穏さに気づく構造になっている。

 

本作の主人公たちが若者で構成されている点も重要だ。

経験も権限もなく、 社会的にも弱い立場にいる彼らは、 企業にとって最も「使いやすい存在」でもある。

エイリアンという怪物よりも、 そこに至るまでの構造そのものが恐ろしい。 ロムルスは、シリーズの中でも特にその点を強く意識した作品だ。

 

 

外伝ではない。 英雄の物語でもない。

エイリアン:ロムルス | 映画 | WOWOWオンライン

それは、 「誰も正解を知らないまま、最初に犠牲になった人々の記録」 として、シリーズの空白を埋める作品だ。

この映画だけを観た人が、 あとから『エイリアン』や『エイリアン2』を観返したとき、 リプリーの生還が、より重く感じられるなら—— ロムルスは、すでにその役割を果たしている。

 

ストーリーを追う映画ではない。

各シーンが、過去作の「ある瞬間」を思い出させるために配置されている。

ここでは物語の流れに沿って、 「このシーンは、シリーズのどこに対応しているのか」 を一つずつ見ていく。

 

おすすめの商品

 

廃棄されるように始まる日常シーン ――ノストロモ号の“その後”を生きる人々

序盤で描かれる、閉塞した環境と若者たちの日常。 この時点ではエイリアンは登場しない。

だがこの空気感は、『エイリアン』冒頭のノストロモ号と同質だ。 労働、契約、命よりも優先される業務。 ロムルスの登場人物たちは、 ノストロモ号のクルーと同じシステムの下で生きている。

違うのは、彼らがすでに「切り捨てられる側」だと自覚している点だ。

 

施設侵入シーン ――「調査」という名の自殺行為

放棄されたように見える施設へ向かう展開は、 『エイリアン』でノストロモ号が信号源へ向かった場面と完全に重なる。

重要なのは、 誰も「帰還」を前提にしていないこと。

これは『プロメテウス』や『コヴェナント』で描かれた 「調査=回収=犠牲」という構造の簡略版でもある。

ロムルスでは、説明はほとんど省かれている。 観客が気づく前に、 すでに“行ってはいけない場所”へ足を踏み入れている。

 

フェイスハガーとの遭遇 ――シリーズで最も変わらない恐怖

フェイスハガーの描写は、 意図的に初代『エイリアン』に寄せられている。

音、動き、接触の仕方。 過剰なアレンジはなく、 「知っている恐怖」をそのまま再提示する。

ここで重要なのは、 キャラクターたちがその危険性を知らないことだ。

観客だけが、 「それに触れたら終わりだ」と知っている。

この非対称性こそが、 ロムルスが“シリーズ中間地点”に置かれた理由でもある。

 

感染後の隔離判断 ――アッシュから始まる伝統

感染した人物をどう扱うか。 この場面は、『エイリアン』のアッシュの判断と直結する。

・人命より観察 ・救命より経過 ・感情より任務

ロムルスのアンドロイド(あるいは企業側の判断)は、 その思想を一切隠さない。

シリーズを知らない観客は 「冷たい」と感じ、 シリーズを知っている観客は 「ああ、またこれだ」と理解する。

 

 

チェストバースター誕生 ――“奇跡が起きなかった世界”

チェストバースター誕生シーンは、 『エイリアン』屈指の名場面の再演だ。

だが決定的に違う点がある。

誰も助からない。 誰も指示を出せない。 誰も状況を把握していない。

リプリーがいたら? ビショップがいたら? という「if」が成立しない世界。

ロムルスは、 “英雄がいない場合、何が起きるか”を 容赦なく見せる。

 

ゼノモーフ成長後の追跡 ――『エイリアン2』以前の恐怖

エイリアン:ロムルス』で植民地を描いた理由を監督が語る『エイリアン3』やり直しの案も | VG+ (バゴプラ)

銃も火力もない状況での追跡は、 『エイリアン2』ではすでに失われた恐怖だ。

ロムルスが描くのは、 「対処法が確立される前のエイリアン」。

つまり、 まだ“怪物”でしかなかった頃の存在。

これは時系列的にも正しい。 人類はまだ、 戦い方を知らない。

 

 

終盤の選択 ――記録も英雄譚も残らない

最終盤、誰かが何かを“成し遂げた”としても、 それは歴史に残らない。

この結末は、『エイリアン2』で リプリーが語る証言が信じられなかった理由を補強する。

なぜなら、 それ以前に、 こうした事件が何度も「なかったこと」にされてきたからだ。

 

ロムルスという映画の位置

『エイリアン・ロムルス』は、 シリーズの謎を解く作品ではない。

それは、 解かれることのなかった犠牲の積み重ねを描く映画だ。

リプリーが英雄になれた理由。 人類が戦い方を学んだ理由。

そのすべての前に、 この映画の出来事がある。

ロムルスは、 エイリアンシリーズにおける 「語られなかった失敗の記録」なのだ。

 

エイリアンの生物としての進化、
ウェイランド・ユタニ社の暗躍、
エンジニアという創造主、
そしてデヴィッドという歪んだ継承者、
この四点を一本の線で結び、最終的に『エイリアン:ロムルス』へと接続していく。

midnight-sweets.com

 

以上。

 

ブログランキング参加中!

1日1回ポチッと応援よろしくお願いします♪

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村


映画ランキング