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エイリアン:ロムルス考察|創造主なき世界で怪物だけが残った理由

エイリアン:ロムルスは、シリーズの原点回帰作品のように見えて、実は非常に冷酷な映画だ。

なぜならこの作品には、神も、創造主も、思想を語る存在すら登場しない。

いるのは、
放置された施設と、
管理されない技術と、
そこに残されたエイリアンだけだ。

 

ロムルスに、デヴィッドはいない。
エンジニアもいない。
ウェイランドという個人の野心も、すでに姿を消している。

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これは偶然ではない。
ロムルスは、「誰も責任を取らなかった後の世界」を描くことに特化した作品だからだ。

 

過去シリーズでは、必ず語る存在がいた。

 

創造を夢見る人間。
人類を見下ろすエンジニア。
自ら神になろうとしたデヴィッド。

 

だがロムルスには、もう誰も思想を語らない。
思想はすでに、システムの中に組み込まれている。

 

舞台となる施設は、もはや研究の場ですらない。
企業は撤退し、
管理者は不在で、
それでも装置だけが動き続けている。

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ここにあるのは悪意ではなく、惰性だ。
それこそが、この映画の最大の恐怖でもある。

登場人物たちは、世界を変えようとしない。
企業を告発しようともしない。
怪物の正体を暴こうともしない。

ただ、生き延びようとする。

 

 

この姿勢は、リプリーとは決定的に異なる。
ロムルスの若者たちは、戦う主人公ではなく、巻き込まれる世代として描かれている。

それはつまり、この世界ではもう、
個人の意志で構造を変えることができない、
という前提が置かれているということだ。

エイリアンは倒せる。
逃げることもできる。

だが、エイリアンが生まれる構造そのものは、
誰にも止められない。

 

エイリアン:ロムルス|映画/ブルーレイ・デジタル配信|20世紀スタジオ公式

ロムルスにおけるエイリアンは、
もはや究極の生命体として崇められていない。

ただ存在し、
ただ繁殖し、
ただ排除される対象になっている。

それは恐怖の消費だ。

 

 

かつてエイリアンは、人類を超える存在だった。
だがロムルスでは、エイリアンですらシステムの一部に成り下がっている。

研究され、
放置され、
事故として扱われる。

そこには、畏怖も思想も存在しない。

この点でロムルスは、シリーズの中で最も冷たい作品だ。
エンジニアの神話性も、
デヴィッドの歪んだ美学も、
すべて切り捨てている。

それでも怪物は残る。

創造主がいなくなっても、怪物は止まらない。
思想がなくなっても、システムは動き続ける。

 

 

エイリアン:ロムルスからのオフスプリング : r/TopCharacterDesigns

エイリアン:ロムルスが描いた恐怖は、
怪物に殺されることではない。

誰も望んでいないのに、
誰も止められないものが、
惰性で存在し続ける世界。

それこそが、この映画が提示した、
最も現実的で、最も救いのないホラーなのだ。

 

エイリアンの進化

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以上。

 

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